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ドカター

Author:ドカター
建設業をしている社長の日記です。 あまり仕事とは関係ない話題を中心に日々の思うところをつづっていきます。

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ビールのおまけ
コンビニに行ったらたまたま見つかり思わず買ってしまいました。
サントリープレミアムモルツのビール3本セットにおまけで「矢沢ハンドタオル」が付いてきます。これは後年文字通りプレミアになるかも~(^ O ^)
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飲み終わっても箱を捨てようかどうか迷ってしまいます。
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未分類 | 11:59:40 | Trackback(0) | Comments(5)
映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」
いよいよ5月12日、映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」が公開されます。
公式サイトはこちらhttp://www.chiran1945.jp/
これは昨年私も訪れた鹿児島県知覧町が舞台となっております(過去の日記)
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製作総指揮は都知事の石原慎太郎氏、そして監督は慎太郎氏が「この人でないと絶対ダメだ」といった新城卓監督です。

舞台は知覧、時代は昭和19年~20年、いよいよ戦局押し迫り、残された戦法は「統率の外道」と言われた万に一つも生還の見込みのない特攻作戦でした。そして日本は多くの優秀な若者を失いました。

映画は、戦中特攻隊員から母のように慕われ、戦後は石原慎太郎氏曰く「生きた菩薩様」と言われた鳥濱トメさんを中心に描かれているようです。この鳥濱トメさんを演ずるのが岸恵子さん。どなたが抜擢したのか存じませんが、すばらしい配役だと思います。

このトメさんが営んでいた「富屋旅館」は当時軍指定の食堂で、多くの特攻隊員の憩いの場所となりました。私も昨年宿泊させていただきましたが、隊員さん達が居た離れは今でも残っていて、私もそこで朝食をいただきました。

是非多くの人達、特に若者に観ていただきたい映画です。
私も今から楽しみです。

公式サイトには宣伝用の動画が予告編としてアップされています。
わずか1分間の予告編ですが、それだけで私はもうボロボロに泣きました。果たして公開されたら2時間近くの間、映画館内で水分が持つのか、真面目な話不安です。皆さん、是非こちらの予告編をご覧になってください!!!

下は富屋旅館さんで買ってきた手ぬぐいです。会社事務所に額に入れて
掲示させていただいております。
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詩は鳥濱トメさんのもの

散るために 咲いてくれたか さくら花 散るほどものの みごとなりけり




映画 | 18:11:46 | Trackback(0) | Comments(0)
沖縄その6
少々その5の続きがございました。これを忘れてはいけません。
その5で書いた「白梅の塔」。実はここをどうしても訪れたかった理由は、5年程前にある学徒隊員生存者の方の証言ビデオを見て衝撃を受けたからでした。

旧制沖縄県立第2高等女学校の当時16.17歳の4年生は、白梅学徒看護隊を編成し、補助看護婦として飛び交う弾丸の中で負傷兵の看護にあたっていました。そして最初の犠牲者となったのが「大嶺美枝」さんという方でした。壕の傍で看護していた大嶺美枝さんは敵の空襲に逃げ遅れてその短い生涯を終えたのでした。
生き残られた同級生の、今ではおばあさんとなった方が涙ながらにおっしゃってました。「憎き米軍め」と・・・。

ここに大嶺美枝さんの遺書となった手記を記します。

「お母様。いよいよ私たち女性も、学徒看護隊として出動できます事を、心から喜んで居ります。私は暖かいお母様のお教へを、今こそ生かして、立派な日本女性としてお国にご奉公する覚悟で居ります。散るべき時には、立派な桜花となって散るつもりです。その時は、うちの子は偉かったと褒めて下さいね」

この遺書がナレーション入りでビデオで流れるのですが、私は涙が止まりませんでした。これが16歳そこそこの年端の行かない女の子の書く文章でしょうか?

価値観の違いと言われればそれまでですが、私の世代も含め現在の16歳とは比較になりません。
翻って荒れた成人式などを見ると、戦後の教育は短期的には良かったのかもしれませんが、やはり失敗だったと言わざるを得ません。

生きる事それ自体を目的にしてしまった現在の価値感。今真剣に考えなくてはならないのは「いかにして死ぬべきか」ではないのでしょうか?

旅行 | 17:53:18 | Trackback(0) | Comments(0)
沖縄その5
さて、続いて向かったのは「ひめゆり平和祈念資料館」です。映画などにもなり、あまりにも有名ですが、まるで観光地みたいになってしまいましたが多くの人が事実を知る事は悪い事ではないと思います。
戦後このあたりの土地は日系アメリカ人のある個人が買い取り、このひめゆりの塔が観光地化されないようにとしたらしいのですが・・・。
(その後この敷地を寄付されたそうです)
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資料館には、ひめゆりと呼ばれた2つの学校の成り立ちから、病院壕を再現したジオラマ、また生存者の方の証言ビデオや証言手記などが展示されています。
因みに「ひめゆり」とは植物のひめゆりとは関係ありません。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校はそれぞれに校友会誌がありました。一校女は「乙姫」師範は「白百合」と名づけられていました。両校が併置されることによって、校友会誌もひとつになり、両方の名前の一部を合わせて「姫百合」となりました。ひらがなで「ひめゆり」を使うようになったのは戦後です(パンフより)

~資料館のパンフより~
米軍の沖縄上陸作戦が始まった1945年3月23日深夜、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒222人、教師18人は、那覇市の南東5キロにある南風原の沖縄陸軍病院に配属されました。
3月26日、米軍は慶良間諸島に進攻、4月1日には沖縄本島中部西岸に上陸。米軍の南下に従い日本軍の死傷者が激増し、学徒達は後送されてくる負傷兵の看護や水汲み、飯上げ、死体埋葬に追われ、仮眠を取る間も無くなっていきます。

五月下旬米軍が迫る中、学徒達は日本軍とともに陸軍病院を出て、本島南端部に向かいました。移動先の安静もつかの間、激しい砲爆撃の続く中で6月18日を迎えます。学徒達は突然の「解散命令」に絶望し、米軍が包囲する戦場を逃げ惑い、ある者は砲弾で、ある者はガス弾で、そしてある者は自らの手榴弾で命を失いました。陸軍病院に動員された教師・学徒240人中136人、在地部隊でその他で90人が亡くなりました。

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そしてどうしても行きたかった一つがこの「ひめゆりの塔」から2キロぐらいのところにある沖縄県立第2高等女学校の白梅看護学徒隊を慰霊する「白梅の塔」でした。
ここは多くの人でにぎわう「ひめゆりの塔」とは対称的に行った時は私一人しかおらず、場所もちょっと一般道から入り組んだ所にあり、ひっそりとしていました。しかし、慰霊をする雰囲気としはこちらのほうが良いのでは、と思った次第です。
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もとろん学徒隊はこの他にもたくさんありました。そして多くの慰霊碑がこの南部の戦跡にはあります。今回は時間の都合でこれしか回れず残念でしたが必ずまた沖縄に来た時はまわってみたいと思います。

さて、次は再び車を北へ、「海軍司令部壕」です。
(その6へ続く)

旅行 | 18:36:55 | Trackback(0) | Comments(6)
震災から12年
今日は阪神大震災が起きた日です。あれから12年がたちました。
つつしんで亡くなられた方々の御冥福をお祈りいたします。

当時私は29歳。震災が起きた時はそのすさまじい映像をテレビで見て居ても立ってもいられなくなり、多くの若者がそうだったように現地へボランティアに行きました。

行った日は震災からまだ1ヶ月しかたっていない2月19日で、たったの3日間でしたが仕事を休み数人の仲間と川口を発ちました。

寝泊りしたのはホテルなどあるわけが無く、電気がようやくつながった学校の教室です。確か芦屋南高校だったと思います。

現地には私が当時所属していた青年会議所の仲間が全国から駆けつけていてその組織のもと動きました。私達の仕事は主に救援物資の仕分けと食料などを被災者の人たちへ運ぶ事でした。


配達先は多くの被災者の人達が避難していた公民館などです。
まだ仮設住宅など出来ておらず、各戸はダンボールだけで仕切られていました。まだ2月ですから体育館などはかなり寒かっただろうと思います。2.jpg


作業の合間の休憩時間に街へ出てその被害状況を目の当たりにしました。3.jpg

建築に携わる者のはしくれとして感じた事は、倒壊していた家屋は比較的古い建物だったと思います。上の写真を見てください。手前の木造住宅は全壊しているのに対して奥に見える住宅はほとんど被害はみられません。芦屋の高級住宅街も行って見ましたがあまりひどい被害はこちらでも見られませんでした。
また、特にピロティ形式(1階が駐車場のような形)の建物は1階部分が2階の建屋に押しつぶされるようになっていたのが数多く見られました。あとは1階部分に極端に開口部が多かったり、壁の配置バランスが悪い建物が倒壊していたように思います。
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「もう解体するしかないだろう」というようなマンションも数多く見られました。上の写真は先ほど申し上げた1階部部がつぶれている状況です。この時私は「マンションは絶対買わないほうがいいな」と心底思ったものです。(今は違います)

地震のあとに火災が発生して多くの犠牲者を出した場所(名前忘れてしまいました)にも行って見ました。そこはまるで空襲にでもあったかのようなところで絶句してしまいました。
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あの震災から12年。今でもその時のケガや、精神的トラウマ、また、実質的な生活苦に苦しんでいる人が多く居ます。
そんなことを考えると、すでに風化されそうな耐震偽装問題に怒りを感じます。ある意味私は同業者ですから、それがどういうことなのかある程度は判っているつもりです。買ったばかりのマンションを手放さなくてはならない購入者の人達への「殺人」に近いものがあると思う。実際私の従兄弟は江東区でH社のマンションを新築で買い、半年で退去させられました。

それに対してあまりにも刑が軽いと思うし、あの社長はその後一体どこに行ったのだ? そして、こんな事は絶対に「かつらの建築士」一人では出来っこないので、他に巨悪が居ると思うのは私だけであろうか?

社会 | 20:04:16 | Trackback(0) | Comments(6)
沖縄その4
3日目、いよいよ今回の私の最重要目的地、南部の戦跡へ行きます。ホテルをチェックアウトして一路南へ。
最初に向かったのは「平和祈念公園」です。

大東亜戦争末期、本土防衛の時間稼ぎの為に捨石となった沖縄県は軍人・民間人合わせて約20万人の犠牲を出しました。しかも亡くなった半数以上が民間人だったと言われています。

1945年5月末、首里の司令部陥落。ここで沖縄戦は終わるかと思われましたが、大本営からの指令は「南部に撤退して戦え」というものでした。つまり本土防衛の準備時間を稼ぐ為だったわけです。そして陸軍は本島最南の摩文仁に撤退しました(海軍ついては後述)。

↓平和記念公園から見える岩壁
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そしてついに6月23日、司令官の牛島中将以下は自決し、3か月近くに及ぶ組織的な抵抗は終わりました。この最後の戦いの地が摩文仁の丘で今は「平和祈念公園」として生まれ変わっているわけです。毎年6月23日の「慰霊の日」には、ここで沖縄全戦没者追悼式が行われます。

しかし、住民の気持ちとしては何故司令官が自決した日が「慰霊の日」なのか納得できない方も多くおられるようです。当時南方に居た民間人は首里が陥落した時点で戦闘はおしまいだと考えていました。ですから、まさか戦闘部隊がここまで撤退して来るとは考えていなかったようでここで多くの民間人が犠牲になったそうです。ひめゆり学徒隊などのの生徒達も最前線で看護をするとは思っていなかったそうです。
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ここには「平和祈念資料館」の他に「平和の礎(いしじ)」という石碑がたくさん建てられていてそこには沖縄戦で亡くなった一人一人の氏名が
出身地ごとに刻銘されています。そこには軍人・民間人の区別無く出身地ごとに並べられているのですが、意外だったのは米軍人の名前もあったことです。
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ここで子供と女房を広場で待たせて私は資料館をじっくり見学。
時間が無かったのでなるべく早く見たつもりでしたが、それでも一時間ぐらいかかりました。間も無く私の携帯に「まだ?」というメールが入り時間切れ。

次に向かったのが「ひめゆりの塔」です。
(続く)

旅行 | 19:09:35 | Trackback(0) | Comments(2)
沖縄その3
2日目、今日は「ちゅら海水族館」を目標に向かいました。
途中であのジローさんも泊まった超高級リゾートホテル「ブセナテラス」へ寄り道。だんだん北に向かうにつれて海がきれいになっていきますね。色がエメラルドグリーンになってます。
宿泊客のふりしてビーチで少し散歩(^^;
すれ違う「本当の宿泊客」をみるとちょっと雰囲気が違う!
服装も私共のようにTシャツ一枚ではなくてビシッとしていて、皆さんお金持ちそうでした。
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そしてもう一つ「名護パイナップルパーク」に寄り、いよいよ水族館へ到着。水族館は今までも都内のあちこちに行きましたが、ちょっと感動!
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中でも主役はこれ、ジンベイザメ。
その大きさに度肝を抜かれ、一体どうやってこの水槽に入れたのか?
夜も眠れなくなっちゃいました(^^;
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水族館を出て目の前にはきれいなビーチが・・・
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写真の奥の方に見えるのが「伊江島」というところで、ここにも米軍が乗り込んできて住民を巻き込んだ激しい戦闘があったそうです。
今回この島には行けませんでしたが、次回行ってみたいところです。

さてホテルへ帰る途中で夕食です。
今回、全日空のクーポンがあり、指定のところで食事がタダに!
場所は人里はなれた山奥でしたが、民家を改造したようなそれでいて高級感のある和食屋さんでした。
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早速注文時にクーポンを見せると、「またクーポンの客か」というような店員さんの対応には、ちょっと不満( `ロ´) 
確かに周りを見るとほとんどのお客さんがクーポン客のようでした。
じゃあクーポンなんか発行しなければいいじゃん!
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でもソーキソバというのを初めて食べましたが、おいしかったですよ。
女房が言うには、これは観光客用に味付けを変えてある、って言ってましたが・・・。

と言うわけで2日目終了。
いよいよ明日は南部への戦跡をまわります。

旅行 | 18:49:06 | Trackback(0) | Comments(4)
沖縄その2
さて、初日の夕食を敷地内の居酒屋でとる。
(だってホテル内のレストラン高いんだも~ん)
海を見ながらの居酒屋で風に当たりながらの「泡盛」は美味かった!

コンビニでおつまみを買い、飲み足りず部屋へ・・・
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コンビニでおもしろい物発見!!
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「ちんすこう」なんですが、商品名が「ちんこすこう」だって(^^;
パッケージには思いっきり
「形はかわいいちんこ型 子宝祈願済」だって。笑っちゃいました。
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てな訳で初日は無事に終わりました。

(続きは2日目です)

旅行 | 16:40:38 | Trackback(0) | Comments(2)
沖縄その1
さて、今回の沖縄旅行のことを書きます。
1日目、羽田から2時間半ぐらい掛けて那覇空港に到着。
空港から外に出た瞬間、気温の違いにビックリ!!
空港の雰囲気もまるでグァムに来たようでした。
そして、すぐにレンタカー屋さんへ・・・。
今回借りたのはこれ、トヨタヴィッツ。
これが結構快適で走りやすくまだ半年ぐらいしか走ってない新車でした。
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那覇市内から一路高速道路を使い1時間ぐらい掛けてホテルへ向かいました。
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向こうの高速道路は制限速度が80キロ。で、誰も100キロ以上飛ばしている車がいなくて、ついついスピードオーバーになりそうになりました。全体的に沖縄ってのんびり走行ですね。

そしてホテルに到着。
1.2泊目に泊まるのは全日空万座ビーチホテル。今回ちょっと無理しまして、いいところに泊まりました。しかしとてもリゾート気分に浸れる満足のいくホテルでした。プライベートビーチがあり敷地全体がリゾートになっていまして、ここに泊まって本当によかったです。
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到着後、早速ビーチへ散歩しにいったら子供達は大喜び!
下の子はパンツ一丁になっちゃって、もうビショビショ(´Д`;)
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部屋からの景色も最高でした!
なんか、ホテル敷地内に教会があって結婚式をする人もいるようです。
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ホテルには屋外プールもあるのですが、冬季限定で水温を30度に設定してあってプールにも入れました。で、夜はライトアップされてこれがまた雰囲気が一層よくなり、夕食後の散歩にはもってこいでしたね。
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ロビーではバイオリンの生演奏をやっていて、本当に贅沢な旅をさせていただきました。

(続く)


旅行 | 19:13:03 | Trackback(0) | Comments(6)
謹賀新年 (遅いか・・・)
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今年最初のブログとなります。
大変遅くなりましたが明けましておめでとうございます。
すみません、今日から仕事なもので(^ ^ヾ

正月休みは家族で沖縄に行ってきました。
後ほどシリーズで細かく報告いたしますが、
いや~、初めての沖縄でしたが、はっきり言って・・・
感動しました!!

私は若い頃外国旅行が好きで、特に長期休暇の取れるお正月はよく外国に行きましたが、もっと早く沖縄に行っておくべきでした。
リピーターが多いのもうなずけます。
また行きたいね沖縄!

今日はとりあえずこのへんで・・・挨拶回りで疲れました。(´Д`;)
写真はファンクラブ会員に送られてくる永ちゃんからの年賀状です。

インターネット・ブログ | 19:29:47 | Trackback(0) | Comments(10)